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東京地方裁判所 昭和43年(行ウ)18号 判決 1968年11月14日

原告 粉川綱太郎

被告 社会保険庁長官

訴訟代理人 小林定人 外三名

主文

一、被告が昭和四〇年一一月二〇日付でなした訴外粉川辰次の死亡による船員保険法所定の遺族一時金給付に関する決定はこれを取消す。

二、訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一、当事者の求める裁判

一、原告

主文と同旨

二、被告

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

第二、原告の主張

(請求原因)

一、訴外亡粉川辰次は、訴外三光水産株武会社所有の第十一三光丸の甲板員であり、昭和三八年七月二六日船員保険の被保険者資格(愛Dさほ第一九号)を取得した。

二、右訴外辰次は、昭和三九年三月一三日午後七時三〇分頃、和歌山県東牟婁郡勝浦港にけい留中の右第十一三光丸の「船番」として仮眠中、同船後部船員室より出火せる火災に遭い、同日午後八時頃焼死した。

三、原告は、右訴外辰次の実兄たる遺族として、船員保険法第四二条の三第一項の規定に基き、昭和三九年五月一六日被告に対し遺族一時金(右辰次の最終標準報酬月額金一万四、〇〇〇円の三六ケ月分である金五〇万四、〇〇〇円)の支給を請求したところ、被告は、昭和四〇年一一月二〇日付で、右訴外辰次の死亡は泥酔していたことが原因しており、職務に起因したものとは認められないから、遺族一時金を支給しない旨決定した。

四、原告は、右決定を不服として、昭和四一年一月一七日愛知県社会保険審査官に対し審査請求をなしたところ、審査官鈴木巌は同年七月一一日請求を棄却する旨決定した。

五、そこで原告は、更に昭和四一年八月二九日社会保険審査会に対し再審査請求をなしたところ、同審査会は昭和四二年八月三一日請求を棄却する旨の裁決をなし、右裁決書は同年一一月七日頃原告に送達された。

六、しかしながら被告の決定は左の理由により違法である。

(一) (訴外亡粉川辰次の死亡するに至つた経緯)

(1)  訴外辰次は、昭和三九年三月一三日午後五時出港予定の第十一三光丸の資材積込を終えた後上陸し、同日正午頃から那智勝浦町の田村魚問屋で四合入り酒一本をチビリチビリと飲んだ後、午後三時頃から四時頃まで仮眠した。

(2)  眼を覚した辰次は、その頃右魚問屋へ同人を探し訪ねてきた同船の倉本漁労長から、同船の出港が翌朝に延期されたことを告げられると共に、同船の船番をするよう命ぜられた。

(3)  その頃すでに酒の酔いからさめていた訴外辰次は、他人の助力なしに独りで帰船したところ、同船の永井船長は、右辰次に対し酒をつつしみ、船番するよう命じ下船した。

(4)  訴外辰次は、同船々尾甲板下部の船員室で船番中、上部甲板調理場のプロパンガス設備が不備のため、洩出したガスが船員室に充満していることに気付かず、偶々喫煙しようとしてライターを点火した瞬間、突如プロパンガスが引火、爆発し、同日午後八時頃焼死するに至つたものである。

(二) 職務遂行性について

(1)  停泊中の漁船の「船番」という制度は、夜間の盗難予防のために生れたもので、船内に留まる限り、寝ることも飲酒も否定されないという極めて特殊な職務である。

(2)  訴外辰次は本件事故当時、前記のとおり漁労長および船長からそれぞれ船番を命ぜられ、その職務を遂行していたものである。

(3)  仮に、右船番の命令そのものが明確でなかつたとしても訴外辰次は慣習上船番の職務についていたものである。すなわち訴外辰次は徳島県出身であつたから、勝浦港入港時には、同人のみが船に留まり「船番」するという慣習があり、命令は黙示的に行われていたものである。

(三) 職務起因性について

(1)  船員保険法における「職務上の事由による」災害が、いわゆる「職務起因性」と「職務遂行性」の二要件を備えることを内容とするものか、それとも、いずれか一つを備えれば足りるとするのか明らかではないが、職務上の死亡か否かを問題とする場合は、職務遂行中の死亡であるかどうかということが重要であつて、職務起因性は問題にする必要はないと考える。

従つて、訴外辰次は「船番」という職務遂行中に死亡したものであるから、「職務起因性」について論ずるまでもなく、職務上の事由による死亡といわなければならない。

(2)  仮に右の二要件を必要とするとしても、職務上の死亡については職務遂行中に生じたものである限り、原則として職務起因性が推定さるべきである。而して業務と災害との因果関係は条件関係により判定されることとなる。

条件関係とは、職務に従事していなかつたならば、当該災害は生じなかつたであろうという関係であるから、訴外辰次にあつても、同人が「船番」という職務に従事していなかつたならば、上陸したまま実姉山路シゲ子方に赴き本件火災に遭わず、従つて焼死という災害を蒙らなかつたであろうという関係にあるのであるから、「船番」という職務と「焼死」という災害との間には因果関係があり、従つて「職務起因性」が認められるといわねばならない。

(四) 職務遂行能力(酩酊)について

被告は、本件事故当時、訴外辰次が飲酒による酩酊のため職務遂行能力を喪失していたと主張する。しかしながら

(1)  訴外辰次は、前記の如く、事故当日、午後五時に船が出港することを十分承知していたればこそ、午後四時頃眼を覚まし、他人の力を借りないで帰船していること

(2)  右辰次が飲酒を終えたのは当日午後三時頃であり、火災発生は午後七時五〇分頃であるから、その間約五時間経過しており、職務遂行能力は回復していること

(3)  もし辰次が、被告の主張するような泥酔状態にあつたとしたら、同人は、狭隘で勾配の急な階段を下降し、甲板下部にある船員室に至ることは到底不可能と思われること

(4)  辰次が、本件事故直前、喫煙のためライターを点火した(と推定されている)とすれば、泥酔者の行為とは矛盾すること(泥酔者は睡眠欲求の方が強く、かつ、ライターに点火して喫煙するなどは不可能に近い)

(5)  被告は、事故当時、辰次が酩酊していたがために逃げおくれて焼死したものであると断じている。しかし、酩酊していない正常の状態にある人間でも熟睡とか、酸素欠乏による窒息状態にあつたために逃げおくれて焼死することもあるから、逃げおくれたから、泥酔していたものと断ずるのは早計であることなどの点からみて、酩酊により職務遂行能力を失つていたということはできない。

また、かりに事故当時、辰次が酒気帯び状態にあつたとしても、「船番」の職務行為には慣行上飲酒を伴うことは黙認されていたから、いかなる場合にも、飲酒による災害が業務上としての取扱いをうけないのは不当である。

(五) 出火原因(過失行為)について

(1)  被告は、本件火災の発生が、訴外辰次の喫煙行為の不始末による過失行為に基因すると主張する。しかしながら、本件火災は第十一三光丸の左舷側上甲板の通路を入つたところに設置してあつたプロパンガスボンベの設備不完全のためにガスが洩出し、右ガスにより充満した船員室で船番中の辰次が右ガスの洩出に気付かないで喫煙のためガスライターを点火した瞬間、ガスに引火し、爆発を起したことに基くものである。従つて、辰次の死亡は、右プロパンガス設備不完全により洩出したガスの引火による火災が原因であるから、右死亡による災害は「職務上の事由」による災害に該当するものである。

(2)  ところが、被告は、本件決定をなすにあたり、火災がプロパンガスの洩出に原因するのではないかということに当然思いを致し、この点の調査を実施しなければならないのにも拘らず、右の点を無視して決定したものであり、右の点につき十分な調査、審理を尽さないでなされた本件行政処分は取消をまぬがれないというべきである。

第三、被告の答弁並びに主張

(請求原因に対する答弁)

一、第一項認める。

二、第二項中、「仮眠中」であつたことは否認し、その余は認める。

三、第三項ないし第五項は認める。

四、第六項は争う。

(被告の主張)

一、亡粉川辰次が死亡するに至つた経緯

被保険者亡粉川辰次(以下被保険者という)は、昭和三九年三月一三日午後七時三〇分頃、和歌山県東牟婁郡勝浦港の岩壁にけい留されていた漁船第十一三光丸の後部船員室で睡眠中に発生した火災のために逃げ遅れ、同日午後八時頃焼死したものである。ところで、被保険者が死亡するに至つた経緯は、大要次のとおりである。

三月一三日第十一三光丸の資材の積込みを終えた後被保険者は、上陸し、正午過ぎ頃から那智勝浦町の田村魚問屋で飲酒を始めた。出航予定時刻の午後三時になつても帰船しなかつたので船長の命によつて探しに行つた同僚乗組員により連れもどされた(帰船時刻は、午後四時三〇分から五時頃の間)。船長および漁労長は、同人に対してそれぞれ飲酒について注意を与え同夜は同船に寝るよう申し渡して下船した。被保険者は、六時頃就寝したのであるが、他の乗組員はすべて上陸し、同夜同船で寝たのは被保険者一人であつた。同船には、特に船番制度はなかつたが、勝浦港に入港したときには、被保険者は、徳島県出身で上陸しても宿泊するところがないので、いつも船で寝ることにしていたのである。

同日午後七時四〇分頃同船船尾側船室(被保険者の居室)から出火し、午後九時頃船を海中に沈めて鎮火させたのであるが翌一四日午後一時船を浮上させたところ、被保険者は、前記船室に黒焦げの死体となつて発見されたのである。

右火災の発生当時船にいたのは被保険者だけであり、かつ死体の枕元にタバコとライターがあり、出火箇所が死体の頭部側附近であることより、喫煙の後始末を十分にしないまま熟睡したため火災が発生したものと考えられ、しこうして同人は逃げおくれて焼死したものである。

二、被保険者の死亡は、職務上の事由によるものではない。

(一) 船員保険法第四二条の三第一項所定の死亡が「職務上の事由に因る」災害と認められるためには、労働契約に基づく使用関係において行動したとき(職務遂行性)で、しかもその職務に関し通常随伴することが予想される災害によつて発生した場合(職務起因性)、即ち職務と死亡との間に相当因果関係が認められる場合であることを要するものと解すべきである。

(1)  すでに述べたように第十一三光丸には船番制度はなかつたが、同船が勝浦港に停泊した場合には、被保険者は常に船番をするということで船に寝ることを慣習づけられていたものと考えられる。従つて、被保険者が同船に寝ることは、単に上陸しても宿泊するところがないからといつて船を利用することを黙認されていたというのではなく、船番という職務についていたものということができるであろう。しこうして、もともと港に停泊中の漁船の船番は、夜間無人にしておくことから生ずるおそれのある盗難あるいは火災等の事故を防止するためのものであるから、不寝番あるいは、時折仮眠する程度で巡視をしなければならないといつた堅苦しい勤務ではなく、船室で寝ておれば足りるものであるから、多少の飲酒も許されるかもしれない。しかしながら船番も職務である以上、例えば酩酊してその目的である盗難あるいは火災等の事故防止に全然役立たず、またこれらの事故が発生した場合に適当に対処しうる能力を欠いている場合には、職務遂行の能力を欠くものというべく従つて、かかる場合には仮りに船に寝ていても船番という職務を遂行していたものということはできない。

被保険者は、前述の如く、火災発生の当日、正午過ぎより飲酒し、船に連れ戻されたときは、相当酩酊しており、そのまま船室で熟睡し、自己の過失により火災が発生しても目をさますことなく、そのまま逃げおくれて寝台の上で焼死したのであるから、船番の職務を遂行する能力を失つていたものであり、従つて本件災害発生当時被保険者は職務遂行中であつたということはできない。

(2)  仮りに、被保険者が職務遂行中に死亡したとしても、その死亡が職務に起因したものとは認められない。

すでに述べたとおり、被保険者は、相当量飲酒し、酩酊して白室に帰り、喫煙のあと始末を十分しないまま熟睡したところ発火するに至つたが、逃げられずに焼死したものであり、また、船舶の構造、設備の欠陥に起因したものと認められる事実も存しないのであるから、被保険者の死亡は、職務とはかかわりのない私的行為による過失に基づくものといわなければならない。

(3)  以上要するに、本件事故には、被保険者が船番をしていたために生じたものと認める事実が存在せず、職務と死亡との間に相当因果関係があるとは到底認め得ないのである。

従つて、被保険者の死亡は、船員としての職務上の事由による死亡と認めることはできないので、原告の船員保険法第四二条の三に基づく遺族一時金の請求に対して、被告がこれを不支給とした処分には、何ら違法の瑕疵は存しない。

第四、証拠<省略>

理由

一、訴外粉川辰次が、訴外三光水産株式会社に同社所有の第十一三光丸の甲板員として雇入れられた船員であり、かつ船員保険の被保険者であつたこと、右辰次が、昭和三九年三月一二日午後七時三〇分頃、和歌山県東牟婁郡勝浦港にけい留中の右第十一三光丸内において、同船後部船員室より出火した火災に遭つて同日午後八時頃焼死したこと、原告が右辰次の実兄たる遺族として、船員保険法第四二条の三第一項の規定に基き、昭和三九年五月一六日被告に対し遺族一時金の支給を請求し、被告が昭和四〇年一一月二〇日付で、右遺族一時金を支給しない旨の決定をしたこと、原告は、愛知県社会保険審査官に不服申立をし、同審査官は右不服申立を棄却する旨決定したこと、原告は更に、社会保険審査会に再審査請求をしたところ、同審査会は、昭和四二年八月三一日右請求を棄却する旨の裁決をしたことはいずれも当事者間に争いがない。

二、ところで、遺族一時金の支給を受ける要件として船員保険法第四二条の三は、「被保険者又ハ被保険者タリシ者が職務上ノ事由二因り死亡シタル」ことを要する旨規定している。右規定は、労働者が労働災害に遭遇した場合に支給されるべき保険給付につき定めたものであり、同法第五〇条第三号所定の「職務上ノ事由ニヨリ死亡シタルトキ」、或いは労働者災害補償保険法第一条所定の「業務上の事由による労働者の……死亡」に対してなされる災害補償、ひいては、船員法第八九条、労働基準法第七九条所定の「職務上」ないし「業務上」の死亡の場合に使用者が労働者に支払うべき遺族補償に関する諸規定と共にいずれもその災害に対する補償(保険給付を含め)が行われるに際しては、労働者の死亡が、「職務上又は業務上」のものであることを要する点でその基礎を共通にしている。そしてここに業務上又は職務上とは、その災害が労働者の業務遂行中に生じたもので、かつその業務と災害との間に相当因果関係が存することを要するものと解するのが相当である。すなわち、当該災害が「業務上」と認められるためには、前提として、先ず災害が労働関係すなわち労働契約に基づく使用者の支配関係の下において発生したものでなければならない(いわゆる業務遂行性)。そこで本件についてこの点を検討するに、先ず、原告が主張するように第十一三光丸に「船番」という職務があつたかどうかについてであるが、この点は被告も肯認する如く、第十一三光丸には船番制度という明確な職務体制はなかつたけれども、停泊中の漁船を夜間無人にしておくことから生ずる盗難あるいは火災等の事故を防止するために慣習上船内に留まることを内容とする職務が認められていたことは争いがない。さらに、<証拠省略>によると、同船の漁労長倉本政臣および船長永井正直は事故当日の午後四時半頃、それぞれ訴外辰次に対し、船で寝るようにと指示し、同人もこれを承諾し、船員室のベツトに入つたことが認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。そうだとすると、辰次は、漁労長および船長から船で寝るよう指示を受け、船員室に入つたときから船番の職務にあつたというべきである。

三、被告は、本件事故当時、訴外辰次は飲酒による酩酊のため船番の職務遂行能力を喪失していたから、災害は職務遂行中に発生したものということはできないと抗争する。

(1)  そこで先ず船番の職務内容につき検討するに、

<証拠省略>によれば、遠洋漁船である第十一三光丸の帰港時における船番なるものは誰か一人でも船におれば用心が良いということで行われているのであつて場合によつて飲酒も許されるし、寝ることも差支えないし、その代り、船番手当は支給されない職務であることを認めることができる。右認定を左右するに足る証拠はない。勿論、船番の職にある者に飲酒が認められるといつても、職務活動である以上その量には自ら限度があることは当然である。而して許される飲酒量は、前示認定にかかる船番制度の目的および報酬の有無から規整されるものと解される。すなわち、船番の職務にある者は、盗難あるいは火災等の事故防止に対処するために通常期待される心身の状況を阻害しない程度(勿論これには個人差があるから、個人の能力に応じて)に飲酒量を自己抑制すべきであつてこの限度を超えた者は、もはや船番の職務から離脱した状況にあるものというべきである。もつとも、この職務には報酬が伴わないこと、および相当長期間にわたる遠洋漁業の激務を終えたうえ、同僚が全部上陸しているのに大抵単独でその任にあたらなければならぬということで乗組員からは敬遠される職務であることが前掲証拠から窺われるから、右飲酒の限度はかなりゆるやかなものであると推認し得よう。

(2)  そこで、本件事故当時における訴外辰次の心身の状況を検討する。

被告は、この点訴外辰次が本件災害が発生当時、相当量の飲酒によつて事故防止に全然役立たず、また事故が発生した場合に適当に対処し得る能力を欠く状況(被告の本件決定の文言によれば泥酔状態)にあつたと主張するところ、本件に顕われた全証拠を検討するも訴外辰次が被告主張のような状況にあつたと認めるに足る証拠はない。なるほど、<証拠省略>によると、第十一三光丸船長永井正直の司法警察員に対する供述中に「事故当日午後五時頃訴外辰次が三光丸に連れ戻されたときはすでにグデングデンに酔つていたということを聞きました」旨述べている部分の存することを認めることができるが、右供述部分は単なる伝聞にすぎないばかりでなく、さらに右に続く供述記載によれば、右伝聞の原供述者が誰であるか全く不明であるというのであるから、右証拠をもつてしては、いまだ、訴外辰次が泥酔状態にあつたものと認定するには足りない。かえつて<証拠省略>を総合すると、

昭和三九年三月一三日昼前第十一三光丸の資材積込作業を終えた同船の乗組員は、同日午後五時の出港予定時までの間自由行動をとれることとなつたが、訴外辰次は、正午過ぎ頃、かねてからの知人である田村魚問屋(和歌山県東牟婁郡那智勝浦町所在)に赴き、同所で近所の酒屋から購入してきた四合入りの酒一びんをチビリチビリと飲んでいるうちに、三時頃にはすでに横になつて眠つていたこと。午後四時半頃、出港時刻も迫つたので、他の乗組員らが田村魚問屋にいる辰次を探しあてて呼びに来たところ、丁度その頃仮睡から覚めた辰次は、倉本漁労長および永井船長らからすぐ帰船するようにとの伝言を聞くや、直ちに右田村魚問屋を辞去し誰の助力も借りないで、ひとりで歩行を始め、岸壁と第十一三光丸との間にかけ渡してあるいわゆる「アユミ」(巾約三〇センチメートル、長さ約一〇メートル細長い板)も無事に渡り帰船したこと、倉本漁労長は右辰次に対し、低気圧接近のため出港は翌一四日に延期したから、今夜は船に泊り、船番するようにと指示し下船したこと。こうして辰次を除く乗組員全員が上陸し、辰次はひとり後部甲板下の船員室の寝台に横たわり、船番についたこと等が認められ、右認定事実を左右するに足る証拠はない。右事実によれば、辰次は倉本漁労長から船番を命ぜられた頃にはすでに酩酊からかなりの程度覚醒し、前示のような船番の職務にある者に対し期待される心身の能力を備えていた(倉本漁労長も右の能力を認めたればこそ辰次に船番を命じたものと解し得る)というべきである。従つて、船番の職務に従事し始めてから、本件災害発生迄の約三時間の間に、辰次が再度上陸して飲酒したとか、あるいは、船内にて飲酒し、再び酩酊状態に陥つたとの点が認められない限り、辰次は災害発生時である当日午後七時四〇分頃には飲酒による酩酊状態により船番の職務遂行能力を欠如していたということはできない。而して、辰次が、船番に就いてから再度上陸して飲酒したとかあるいは、船内で飲酒したと認めるに足る証拠はない。もつとも、<証拠省略>には、辰次が再度上陸したらしいとの趣旨の記載があるけれども、いずれも単なる伝聞にすぎないのであつて、原供述者も明らかでないから採用できないし、また、<証拠省略>をもつてしても、辰次が船内において飲酒したことを推認するには足りず、その他に同人が船番中も飲酒していたことを認めるに足る証拠はない。

以上の理由により、訴外辰次は、事故当日午後四時半頃倉本漁労長から船番を命ぜられてから災害発生時迄に飲酒による酩酊のため職務遂行能力を失つていたとみるべき証拠はなく、前記田村魚問屋での飲酒により、辰次になお若干の酩酊状態が残存していたことは否めないにしても、同人が当日飲酒した量、その後の約二時間にわたる睡眠、帰船に至る同人の挙勤等からみると、前示認定のような船番にあたる者に通常要求される職務遂行能力を欠いていたとは到底断ずることはできない。

三、次に本件災害が訴外辰次の船番という業務

に起因するものかどうかについて判断する(いわゆる業務起因性)。

(1)  先ず訴外辰次が労働に従事した本件第十一三光丸が遠洋鮪漁業を主たる業務とする漁船であることは当事者に争いがなく、一般に遠洋鮪漁船が陸上の事業所と異なり、船舶という、陸上から隔絶された労働環境であり、しかも船内における生活環境上の設備が極めて狭隘であるばかりでなく、機械装置、燃料油等の使用に伴う負傷や火災発生等の危険が常に隣り合わせている状況であること、のみならず遠洋漁業における肉体労働が極度の緊張と肉体的疲労を伴うことは顕著な事実というべきである。もつとも、本件のように漁船が帰港し、停泊中の場合は、右と事情を異にし、災害発生の危険性は減少すると一応考えられるけれども、本件において訴外辰次が従事しつつあつた船番の職務は、原則として漁船内で寝起きしなければならないから、前記のような漁船のもつ特殊な生活環境に伴う危険性から免れることのできない点については程度の差はあれ漁業のため航海中の場合と余り異ならないというべきである。従つて、訴外辰次が船番勤務に従事した労働環境には右のような危険性が内在していたものということができる。

(2)  そこで、次に本件火災発生の場所ないし発生原因につき考えるに、先ず<証拠省略>によると、火災発生の場所が、訴外辰次の死体の発見された本件第十三光丸の後部船員居室の近辺であることが推認される。しかしながら、本件火災が、被告主張のように訴外辰次の喫煙のあと始末が不十分であつたために惹起したものであると認めるに足る証拠はない。なるほど<証拠省略>には、辰次の死体のまくらもとにライターとタバコの箱があつた旨の記載があるけれども、他方、<証拠省略>によると、海中から引揚げられた本件漁船の火災発生現場附近には船具や船員の私物が散乱していた旨の記載があるにすぎず、タバコの箱やライターの存在には何ら言及していないことのみならず「消火作業をうけたために、一たん沈没した船が、再び引揚げられた後はその船内の、しかも発火点近くの船室内で、乗組員の所持品がもとのままにおかれてあると想定することはむしろ不自然であるというべきである」から、これらの点に対比すると、前記<証拠省略>の記載内容は到底措信することはできないといわねばならない。さらに、<証拠省略>によると、訴外辰次の死体の状況からみて、同人が火災発生当時心神喪失の状態にあつたことを認め得る。この点について、被告は、訴外辰次が心神喪失状態に陥つた理由として辰次が泥酔して熟睡していたためであると主張しているが、前記のとおり辰次が泥酔していたと認めるに足りる証拠はないから、本件火災当時の事情を前提にして他に考えられる理由としては、辰次が通常程度より深い睡眠状態にあつたかそれとも有害なガス(<証拠省略>によると本件火災発生時第十一三光丸甲板上に設置してあつたプロパンガスのボンベからガスの洩出していたことを認めることができる)による酸素欠亡のため窒息し、心神喪失の状態に陥つたのではないかといういずれかである。他の理由を推認するに足りる証拠はない。しかしながら右何れの原因によつて辰次が逃げおくれたとしても、この点をとらえて業務起因性を否定すべき理由とはならないというべきである。けだし、前記のとおり、船番の職務に従事する者であつても睡眠をとることは許されているから、偶々事故当時熟睡状態にあつたことをとらえて職務から離脱したとか、単なる私的行為により災害を受けたということはできないし、さらに、プロパンガスにより心神喪失の状態に陥つたとしても、辰次自身が、ガスボンベの元栓を締め忘れるなど、重大な過失行為により右事態を惹起したと認められない以上、辰次の死亡と船番の職務との関連性を否定することはできないからである。

そうだとすると、訴外辰次は、前示認定のとおり本件災害発生当日の午後五時頃より、第十一三光丸の後甲板下の船員室のベツドに横たわり、船番の職務に従事中、午後七時四〇分頃同所において発生した火災から当時心神喪失の状態にあつたために逃げおくれ、同船内において焼死したものと認められる。而して、「右火災発生の原因につき同訴外人の故意又は過失行為が寄与したとの点および同訴外人の右火災当時心神喪失の状態に陥つた原因につき同人に重大な過失があつたと認めるに足る証拠はいずれも存在しないから、結局辰次の死亡は、船番の職務による業務上の災害に起因するものと推定することができる。

以上の理由により、訴外辰次の本件災害による死亡は、船員保険法第四二条の三第一項所定の職務上のものというべく、職務外の事由に因るものとの認定のもとに為された被告の本件決定は違法であつて取消を免れないものである。よつて右決定の取消を求める原告の本訴請求は理由があるのでこれを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 猪方節郎 小木曾競 山下薫)

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